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中部地域の注目パーソンにインタビュー!

世界に誇るタオルブランドへの挑戦(3/4)

January 30. 2023(Mon.)

岐阜県安八町(あんぱちちょう)にある浅野撚糸株式会社の二代目社長・浅野雅己(あさのまさみ)さんは、空前の大ヒットを続けるタオル『エアーかおる』の生みの親として知られる。斜陽産業と呼ばれて久しい撚糸業界にありながら、経営危機を脱却して見事に復活を遂げるなど、その経営手腕にも注目が集まる。第三回目では、『スーパーゼロ』『エアーかおる』の誕生秘話をご紹介する。

特殊な糸『スーパーゼロ』を開発

『スーパーゼロ』が誕生したのは、大手繊維商社のクラレ(現・クラレトレーディング)からお湯に溶ける糸を紹介されたのがきっかけだ。綿糸と水溶性糸を複合させれば、全く新しい糸が生み出せるのではないか? とひらめいた浅野さんは、外回り営業を終えた夜9時から深夜まで連日のように工場にこもり、ひたすら開発に打ち込んだ。5年の歳月をかけて完成した糸は、ゼロから這い上がりたいという想いから『スーパーゼロ』と名付け、特許も取得。

『スーパーゼロ』の製造には、綿の糸と水溶性の糸を織り込んだ後、お湯に浸して水溶性の糸だけを溶かすという工程がある。これにより、糸と糸の間に隙間ができる。こうして完成した糸は、繊維の間にたっぷりと空気を含むため、ボリューム感が出るうえ、非常に高い吸水性と速乾性を発揮するのだ。

機械によって撚りをかけられた『スーパーゼロ』。
通常の糸より強い撚りがかかった『スーパーゼロ』が絡んだり切れたりしないようアイロンをかける機械。

おぼろタオルと出会い、
魔法のタオルが誕生

ところが、この糸を有効活用してくれる企業がなかなか見つからず、しばらく苦戦を強いられることになった。

転機となったのが2005年、三重県の老舗タオルメーカー・おぼろタオルとの出会いである。同社も売り上げが激減しており後がない状況であった。両社は、新しいタオルの開発をかけてタッグを組んだ。そして、試行錯誤の末に出来上がったのが、『スーパーゼロ』を使ったこれまで見たことがないふわふわなタオルだった。現在の『エアーかおる』の原型である。

糸が空気をたっぷり含み、この空気の隙間に大量の水分を吸収することで、一般的なタオルの1.5倍の吸水力を発揮する。洗濯してもふわふわ感が長続きし、毛羽落ちが少ないうえ、糸の空気の隙間に風が通ることから、洗濯後の渇きも速い。まさしく「魔法のタオル」と呼ぶにふさわしい圧倒的な高機能を実現した。

軽さ、ふんわり感が桁違いなタオル『エアーかおる』。

自社ブランドとして
売り出すことを決意

その後、大手ベビーアパレルでの採用が決まり、東京のタオル問屋を回り始めた浅野さん。「きっと良いものだから売れるに違いない」。しかし、現実はそう甘くはなかった。どこに足を運んでも「価格が高い」と相手にされない。心が折れそうになり、副社長の妻・真美さんと初めて築地の寿司屋の暖簾をくぐった。「いつかこのお店に社員を連れてこよう。だから絶対にあきらめちゃダメ」。そんな真美さんの言葉に背中を押された浅野さんは、「このタオルの販売を問屋任せにせず、自社ブランドとして育て上げよう」と心に決めた。

ひらめいた商品名は『エアーかおる』。エアーは空気のような軽さを表現した言葉だ。かおるは「KAOL」。Kはクラレ、Aは浅野撚糸、Oはおぼろタオルの頭文字から、そしてLは英語で「生きる」を意味する「LIVE」から取った。微笑む女性のロゴマークは、寿司屋で見た妻の横顔をイメージしたものだ。

こうして、後に国内外に多くのファンを持つ人気商品となる『エアーかおる』が誕生したのだ。

数々の苦難を共にしてきた妻・真美さんと。

プロフィール

浅野撚糸株式会社 代表取締役社長
浅野 雅己
1960年生まれ。浅野撚糸株式会社の二代目社長。撚糸の開発を続け、柔らかく軽量、吸水性抜群の魔法の撚糸『スーパーゼロ』の開発に成功。この画期的な糸の特性を生かし、三重県津市の老舗タオルメーカー・おぼろタオルと共同で『エアーかおる』を生み出し、シリーズ累計販売枚数1400万枚を超える人気商品に育て上げた。
浅野撚糸株式会社
1967年、縄の加工業を営んでいた父・博さんが撚糸工場として創業。最先端の機械と高度な技術で大きく成長を遂げるも、安価な海外製品が国内シェアを占拠し、一時は倒産寸前の危機に。その後、タオル『エアーかおる』の大ヒットによりV字回復を成し遂げた。

MAP

岐阜県安八郡安八町中875-1
電話番号:0584-64-2279(代)
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